ヨシュア記:自分の行程を走りぬきタスキを渡す。
2012年3月12日
先週はモーセ五書の最後の申命記をお話ししました。そして、今日は申命記に続くヨシュア記をお話しします。「ヨシュア記」という名前はモーセの従者として常にモーセの側に仕えていた人の名前をそのまま取った書名です。彼はモーセと共にエジプトを脱出し、モーセに同伴してシナイ山に登り、共に荒野の辛苦をなめつくし、カナンの偵察のために派遣された12人の一人でもあり、モーセの死を前にして、彼の後継者に指名された人であります(申命記31章23節)。
このヨシュア記はとてもシンプルな内容となっています。すなわち1-12章はヨシュアをリーダーとして約束の地、カナンの土地を征服すべく他民族との戦いが多く記されており、13章以降はその戦によって征服したカナンの地のイスラエルの各部族ごとへの分配が、読む者にとってはとても退屈な箇所ではありますが記録されています(しかしながら、よくよく考えますと先祖の代から約束されていた土地の分配なのですから、彼らにとっては記録すべき最重要なことだったのです)。
今日はヨシュアに率いられたイスラエルの民がカナンの地を征服していくにあたり、何をしたかということを、みていきたいと願っております。今日はこのところから三つのポイントをお話します。まず最初に「世代交代」、そして「使命」、最後に「戦」ということです。
「世代交代」
少し、ここまでのことをおさらいしましょう。ポイントになりますことは先週もお話ししました「カナン」という土地です。この土地は主にヨルダン川と死海の西岸に位置する土地で、神様はアブラハムに「あなたの子孫にこの地を与える」(創世記12章7節)と約束されました。その孫になるヤコブには「あなたが伏している地をあなたと子孫に与えよう」(創世記28章13節)とこのカナンを再び確認されました。そして、モーセにも「良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナン人・・・のおる所に至らせようとしている」(出エジプト3章8節)とカナンを示されました。
私達が聖書を通して知っていることは、これらの言葉は確かにこの三人に語られたのですが、その最終的な成就、すなわちカナンを実際に獲得するということはアブラハムにも、ヤコブにも、そして出エジプトの最大の功労者モーセにも託されず、ヨシュアにそれが託されたということです。このことから私達はそれぞれが成すべき役目というものが神から与えられているということに気がつかされます。それはあたかも駅伝のようなもので、この場合アブラハムは神様から第一走者としてのタスキを受け、続く・・・ヤコブ、そして、モーセと、それぞれが前走者が到達した所からタスキを受け、その後は自らが走るべき行程を次の者に手渡すまで精一杯に走ったということです。そして、この彼らの姿は私達の生き方にも適応でき� �ものです。私達も今、自分が目指していることを成し遂げることができないかもしれないこと、もしかしたら自分ではなく、自分の後に続く者がそれを成し遂げることになるかもしれないからです。
そして、このタスキが引き渡される時にはしばしば多くの問題が起きることを私達は知っています。駅伝において次の走者にタスキが渡される時、いくつかのチームがそこに集中しますと、接触があったり、タスキを落としかねません。確実にタスキを手渡すことができるかということは勝敗に関わります。たとえ一番を独走していてもタスキを落とせば順位も変わってしまうことでしょう。
同じように何かを次の世代の者達に引き継ぐ時というのは、人間の感情や欲望というものが交錯します。それゆにえ泥沼の世代交代となり、関わる全ての人達が苦々しい気持ちになってしまうことがあります。私達はイサクがその長子の権利というタスキを息子達に引き継ぐ時に起きた悲しい結末を思い出さなければなりません。
それでは、その大切な時、モーセはどのようにヨシュアにそのタスキを渡したのでしょうか。民数記27章16節にはモーセがその最後の時に神様に願ったことがこのように記録されています。16「すべての肉なるものの命の神、主よ、どうぞ、この会衆の上にひとりの人を立て、17彼らの前に出入りし、彼らを導き出し、彼らを導き入れる者とし、主の会衆を牧者のない羊のようにしないでください」。私達が心に刻むべきことはモーセはその後継者としてヨシュアの名をここで触れていないということです。これまでのモーセのはたらきの側にはいつもヨシュアがいましたから、モーセが当然、ここでヨシュアの名前を出してもいいと思うのです。しかし、その最重要な時に彼はまず自分の考えや願いではな く、全てを白紙にして神様に自分の後継者を誰にすべきかを問うたのです。
そして、この言葉を受けて神様がモーセに語られました。「神の霊のやどっているヌンの子ヨシュアを選び、あなたの手をその上におき、19彼を祭司エレアザルと全会衆の前に立たせて、彼らの前で職に任じなさい。20そして彼にあなたの権威を分け与え、イスラエルの人々の全会衆を彼に従わせなさい。(民数記27章18節-20節)神様はヨシュアの名を挙げ、彼の上に手を置き、その所には祭司も立ち合わせて、ヨシュアが神からの任を受けることを会衆に示しなさいといわれたのです。このことによりモーセは自らの願望をヨシュアに託すことはなく、それを断ち切り、ヨシュアは神様から与えられたその使命を厳粛に受け止めて、その任を引き継いだのです。そして、それを会衆も認めたのです。なんとあっぱれ� ��世代交代でしょうか!
箱根駅伝を走るランナーには街中を走る者もいれば、上り坂を走るためにたてられているランナーもいるように、私達もどんな道程を走ることになるのかを知りえません。モーセはイスラエル民族の功労者でありましたが、彼は約束の地に入ることはできず、その直前に全権をヨシュアに譲りました。それを受けたヨシュアも自分の使命を全うすべく走り出したのです。そして、それは彼らに限らずパウロもテモテ第二の手紙4章6節から8節で自らが走るべき使命をわきまえつつ言っているのです。
6わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。7わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。8今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。
誰もがこの地上で永久にその行程を走り続けるのではありません。私達一人一人には神様から与えられている走るべき行程があるのです。それは皆、違うのです。実に聖書を全体として読む時に、このタスキが多くの人達によって引き継がれてきたことを私達は知るのです。彼らはそれぞれが神様に与えられた行程を走ったのです。
今日は何が起こっていると聖書には何が予言されますか?
ですから私達は隣を見て、舞い上がる必要も落ち込む必要もありません。そして、その自分が与えられている行程をただ走るのではなくて、しっかりと次の者達が走りやすい道備えを、露払いをするかのごとくゴールを目指すのです。神のみわざは世代を超えた共同作業であり、チームワークです。私達はその最後のテープをきることはないかもしれませんが、私達のたすきを受け取った次の者達がそのテープをきるかもしれません。このことは私達の家庭でも、職場でも、そして教会でも成されるべきことなのです。
私達の教会は80年以上もの歴史をもちます。これまでいったいどれだけの人達がこのたすきを携えて走ってくださったことでしょうか。私達が互いに自らが与えられている道程を走っているということを信じています。そして、世代交代が神様の御目のもとなされていることを信じています。次に使命ということについて触れましょう。
「使命」
出エジプト記3章によりますと、かつてモーセがホレブの山におりますと燃えているのに燃え尽きない柴があるのを見つけました。そのところで神様は柴の中からモーセに語りかけました「ここに近づいてはいけない。足から靴を脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」(出エジプト記3章5節)この言葉をモーセに語られた後に神様は彼にエジプトからイスラエルの民を救い出すようにという大きな使命を与えるのです。
同じようにヨシュアがモーセの使命を受け継いで、いよいよイスラエルのリーダとしてそのはたらきをする時に彼もこのような不思議な体験をしました。13ヨシュアがエリコの近くにいたとき、目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持ち、こちらに向かって立っていたので、ヨシュアはその人のところへ行って言った、「あなたはわれわれを助けるのですか。それともわれわれの敵を助けるのですか」。14彼は言った、「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」。ヨシュアは地にひれ伏し拝して言った、「わが主は何をしもべに告げようとされるのですか」。15すると主の軍勢の将はヨシュアに言った、「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である」。ヨシュア� ��そのようにした。ヨシュア5章13節-15節
今朝、靴をはかずにここに来ている人はいないと思います。私達はなぜ靴をはくのでしょうか、それには色々な理由があります。どんな道であってもしっかりと歩くため、怪我から足を守るため、濡れないため、汚れないため、寒さから守るため・・・。実際に靴をはかずに私達が街中を歩けば色々と不快な思いをすることになるでしょう。
モーセやヨシュアの時代、当然、靴したなるものはまだありません。彼らは裸足でサンダルのようなものをはいていたことでしょう。交通機関のない時代、彼らは自らの足だけを頼りに移動をしていました。砂埃が舞うような、その中に何が落ちているかも分からない、砂漠地帯であるなら土の中に危険な生き物もいたかもしれません。そんな彼らがその場でサンダルを脱がされるということは、前にも後ろにも進めないことを意味しました。まさしく自分の無力さを痛感する時です。
「しっかりと靴紐が結ばれているか確認して、その使命を果たしなさい!」というのなら分かりますが、神様はモーセにもヨシュアにもその使命を始める前に、その大事な靴を脱げといわれたのです。なぜなら、彼らにこれからは自分の力だけに寄り頼まず、私を信じてその使命を全うしなさいということを伝えるためです。
靴を脱いだヨシュアの使命は明確でした。彼はその先祖、アブラハムの時代から約束されていたカナンの地を実際に獲得するという使命を全うすることです。しかしながら、その地には既に先住している者達がおり、彼はこれらの相手といくつもの戦いをしなければなりませんでした。それらの指示を彼は神様から受け、すべてを神に寄り頼み、信仰をもって一つ一つの戦いに勝利をしていったのです。
実にヨシュアはヨシュア記1章2節-3節に記されている「・・・それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。あなたがた、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したとように、あなたがたに与えるであろう」という言葉に対する信仰と共に生きたのです。
ヨシュアがこの言葉を聞いた時にまだ、彼にはカナンの地が与えられていません。しかし、彼はこの言葉を確かなものと信じて「立って」「渡って」「行って」「足の裏で踏んだ」のです。ヨシュアはこの彼に与えられた使命に対して信仰をもって応えたのです。そして、神様はそれに応えてくださり、かつて神の前に靴を脱いだその足で踏むところが全て与えられたのです。
皆さん、私達が神様から与えられている使命を全うするためにも、このヨシュアの信仰が必要です。私達に既に与えようとしてくださっているその私達の取るべき領地を私達は信じて、一歩を踏み出す。そして、さらに一歩を踏み出す。その時に私達の使命はこの地で成就していくのです。最後に「戦」についてお話します。
「戦(いくさ)について」
このヨシュア記や続く士師記というのは、血なまぐさい戦が数多く記されていおり、その中には「その民を滅ぼしつくしなさい」という激しい言葉があります。このような言葉に対してきっと多くの人達が「なぜ、聖書にこのような激しい言葉が記されているのか」と感じていらっしゃると思いますし、神は戦争を肯定するのかと思われる方もいるかもしれません。今朝はこのことを避けて通らずに向き合ってみたいと思います。申命記7章1節‐6節に神様がモーセがモーセの口を通して、カナンに入る前のイスラエルの民に語った言葉が記録されています。
1あなたの神、主が、あなたの行って取る地にあなたを導き入れ、多くの国々の民、ヘテびと、ギルガシびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、およびエブスびと、すなわちあなたよりも数多く、また力のある七つの民を、あなたの前から追いはらわれる時、2すなわちあなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。3また彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない。4それは彼らがあなたのむすこを惑わしてわたしに従わせず、ほかの神々に仕えさせ、そのため主はあなたがたにむか� �て怒りを発し、すみやかにあなたがたを滅ぼされることとなるからである。5むしろ、あなたがたはこのように彼らに行わなければならない。すなわち彼らの祭壇をこぼち、その石の柱を撃ち砕き、そのアシラ像を切り倒し、その刻んだ像を火で焼かなければならない。6あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。
ヨシュアはこの言葉をそのまま実行しました。彼はことごとくカナンにいた国々の民を滅ぼしていきます。そんな彼の姿を注意深く見ていく時に気がつかされることがあります。
イスラム教徒は危険です
それはヨシュアがイスラエルのリーダーとして常に心に刻みこんでいたことが「敵前感」というものであったということです。それは、自分達はいつも敵の前にいるのだという危機感です。ヨシュアの心には常にその思いがあったゆえに、彼はイスラエルの民と共にカナンの地を獲得していくことができたのです。そして、その危機感についてヨシュアの心を一番よくあらわれている姿勢というのが「妥協しない」ということであり、それは実際に戦の前線で指揮をしていた彼が、神が言われた「滅ぼしつくせ」という言葉の意味を実感しながら体得した心構えであったようです。
ヨシュアはいったい何に「妥協しなかった」のでしょうか。それはイスラエルの民が「約束の地」を取得し、それまでの遊牧生活からその土地に定住して生きるにあたり、その土地に既にあったものと妥協しないということ意味していました。なぜ、彼は強い確信をもってこの「妥協しない」ということを貫いたのでしょうか。その理由はヨシュアが死んだ後、来週、見ていきます士師の時代にヨシュアが妥協しなかったことに妥協していったゆえに陥った姿により明らかにされます。士師記3章5節から7節を読みましょう。
「イスラエル人は、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の間に住んで、彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘を彼らの息子たちに与え、彼らの神々に仕えた。こうして、イスラエル人は、主の目の前に悪を行ない、彼らの神、主を忘れて、バアルやアシェラに仕えた」
ヨシュアは徹底して妥協をしませんでしたが、彼なき後にイスラエルはこれらの民族と妥協したのです。彼らが取ろうとしているカナンの地は肥沃な場所ですので、その所ではその土地に定住して農耕生活を営む事が十分に可能だったのです。農耕によって生きる者達には生活の安定と豊かさがうまれてきます。農業を営む者であるならば誰しも豊作を求めるわけでして、その土地からどれだけの農産物を収穫できるかということが彼らの大きな関心であり、それゆえに豊作のために益となってほしいと人が作った神々が乱立していました。
それらの神々に同化してしまうことこそがイスラエルの民にとって最大の危機でありました。今までの不安定な生活が安定していき、彼らの間にカナンの神々が混入してくると、彼らは最も大切なものを失ってしまいます。その時のイスラエルの民の恐れからなのか、共存しても何も感じなくなったのか、とかく人間の性質として私達はとりあえず楽なものを選びますゆえに、彼らはヨシュアが言っていたことを忘れ、その結果、偶像礼拝に陥り、彼らの間には不法がはびこり、まさしく絶望的な生き方に陥ったのです。
ですから、イスラエルの民が神の民であり続けるためには、徹底的に異教の神々を排除しなければならなかったのです。そうしなければ、後の彼らの歩みが示していますように、彼らは必ずそれに影響され、自らを滅ぼしました。そう考えますと、やはり神が言われたことは正しかったのです。皆さん、これは私達に対する大切な教訓です。私達も「これだけなら」「少しぐらい」ということが私達の命取りとなることがあります。神様はイスラエルの民の心を熟知しておられました。「少しぐらい」とそのままにしておいたものをはねのけていく力は私達のうちにもなく、その「少しぐらい」によって私達は時に窮地に追い込まれてしまうのです。
このカナンの地にあった偶像礼拝について、考古学者たちがその遺跡によって発見したことによりますと、そこには豊穣神としてのバアルやアシュラの神に捧げられた子供の遺体が収められた壷が多数発見されたり、神殿には性器が誇張された彫刻があり、その神殿では巫女と称した女性達が売春をしており、その時代の性的混乱が分かったといいます。豊作を求める土地では人の性も神秘的な実りとして考えられ、必ずといっていいほど、このような性器に対する信仰が生まれ、そこでは秩序のない性的な堕落が起きてきます。今日の歴史家が指摘しているように、歴史に興った大国の末期には大抵、信じがたい性的混乱が起きたといいます。それは国が立つか倒れるかの印となっていたのです。カナンの町々を発掘した考古学者達は� ��の発掘されたものを見て始めて、なぜ神がこの町々を滅ぼしつくせと言われたかということがよく分かったというのです。
以来、このカナンの偶像神、バアルとアシュラはイスラエルにとって常に災いの種となっていきます。来週お話します士師の時代はイスラエルの民達がこの神々の礼拝に陥り、自らを窮地に追い込み、落ちるところまで落ちていく400年にもおよぶ年月が記録されているのです。
先ほど読みました申命記6章6節には「あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた」と書かれています。もし、宝のように思っている私達の大切な人がそのままいけば必ず自らを滅ぼすような危機に直面することが分かっているのなら、私達はたとえそれが厳しい警告でも躊躇せずにしないでしょうか。同じように神はイスラエルの民に徹底的に命じられたのです。
皆さん、今日はモーセからヨシュアへとどのように世代が交代したかということをお話しました。また、ヨシュアが自分に与えられた使命を妥協せずに全うしていった様を見ました。私達はいかがでしょうか、私達が託されているタスキはどんな使命を私達に示しているでしょうか。そして、その使命に私達は生き、次のものに手渡す日が来るということを意識して今も私達が走るべき行程を走っているでしょうか。ペテロ第一の手紙5章8節には「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている」と書かれています。私達はこのことを意識し、自分は今も敵の前に暮らしているのだという意識をもって日々を過ごしてる でしょうか。
後に続くイスラエルの民の歩みは神の御心に従う世代交代がなされ、各自が自分の使命をしっかりと認識している時、そしてリーダがしっかりと敵前観をもっている時には祝福され、安定するのです。しかし、悲しいかなこのイスラエルの歴史はこれからこれらのことがなされることなく妥協が繰り返され、さらに混迷を増していきます。来週はそのことについて士師記からお話しましょう。お祈りしましょう。
Book of Joshua: Run one's course and pass baton on to the next runner
March 11, 2012
Last time, I discussed Deuteronomy, the last of Five Books of Moses. Today, I would like to take up Book of Joshua. Joshua is the name of a minister who was with Moses all the time throughout the trip. He escaped Egypt with Moses, climbed Mt. Sinai with Moses, and endured hardship of wilderness with him. He was one of twelve people sent out to scout out the land of Canaan, and was named a successor to Moses just before Moses passed away.
This Book of Joshua is a very simple book. Chapters 1-12 describe many battles Israelites fought under the leadership of Joshua to take over the Promised Land of Canaan. Chapter 13 and on describes in boring details how the land of Canaan was divided up among Israelite tribes. (However, we must admit that this allotment of Promised Land among Israelite tribes was a very important and historic event.)
This morning, I would like to study how the Israelite people conquered the land of Canaan under the leadership of Joshua. There are three key points. They are "changing of generation", "mission" and "battle."
Changing of generation
どのようにエフラテを発音しない
Let's review what we have learned thus far. The key point is the land of Canaan which we talked about last time. This land is located on the west bank of River Jordan and the Dead Sea. God had promised Abram that he would give this land to Abram's offsprings. (Genesis 12:7) God also spoke to Jacob, grandson of Abraham, "I will give you and your descendants the land on which you are lying."(Genesis 28:13) And God also told Moses about "a good and spacious land, a land flowing with milk and honey—the home of the Canaanites, … ." (Exodus 3:8)
What we have learned from the Bible is that although these words were spoken to these three people, the one who finally obtained the land of Canaan was not Abraham, Jacob, or Moses, but was Joshua. This reminds us that each of us is charged from God with a different task to carry out. This is like an EKIDEN race, a marathon race, in which Abraham was given a baton from God to run the first leg, and the baton was handed on to Jacob and Moses to run the subsequent legs. Each had his own course to run until the time he passed the baton to the next runner. We too, are like that EKIDEN marathon race runners. We may not be the one to reach the goal. Our role is to run our assigned leg so that the next runner can carry on the mission.
We know that handing over the baton to the next runner is not that simple. At the transition station, when the baton is passed to the next runner, many runners might bump into each other and may knock off the baton. If the baton is not handed over safely to the next runner, the team might lose the race. Even if you were leading the race, if you drop the baton, the victory would slip away.
Transition to the next generation is not always easy. It could be emotionally difficult. Such transition could trigger ugly conflict between the generations. I am reminded of the sad incident that took place when Isaac tried to hand over the baton of the right of the first born to his sons.
How then, did Moses hand over his baton to Joshua? Book of Numbers Chapter 27 Verse 16 records what Moses asked God in his last days: 16"May the LORD, the God of the spirits of all mankind, appoint a man over this community 17to go out and come in before them, one who will lead them out and bring them in, so the LORD'S people will not be like sheep without a shepherd." You might notice that Moses did not bring out the name of Joshua as his successor. Joshua worked with Moses all these times. So, Moses could have mentioned the name of Joshua as his successor. But, Moses did not bring out his opinion or wishes about this important selection of his successor. He simply asked God for guidance.
God responded to Moses saying: "Take Joshua son of Nun, a man in whom is the spirit, and lay your hand on him. 19Have him stand before Eleazar the priest and the entire assembly and commission him in their presence. 20Give him some of your authority so the whole Israelite community will obey him. (Numbers 27:18-20) He mentioned Joshua by name. God told Moses to place his hand on Joshua. He also told Moses to announce this selection to the Israelite community. Moses did not tell Joshua to take over his role. It was God who selected Joshua and it was God who granted the authority to lead the Israelite people. And, the community also accepted this leadership transition. The baton was handed over to the new leader smoothly.
In the EKIDEN marathon race, some team members run through town street, other might run up steep mountain road. Each of us has a different road to run. Moses brought the people of Israel out from slavery. But, it was not his mission to enter the Promised Land. So, Moses passed his baton to Joshua. And when he received his baton, Joshua started his leg of the marathon race. It was the same with Paul. He knew his mission. See 2nd Timothy Chapter 4, Verses 6-8.
6For I am already being poured out like a drink offering, and the time has come for my departure. 7I have fought the good fight, I have finished the race, I have kept the faith. 8Now there is in store for me the crown of righteousness, which the Lord, the righteous Judge, will award to me on that day—and not only to me, but also to all who have longed for his appearing.
Not all of us are called to run the full course on this earth. But, each of us is assigned a course to run from God. Everyone has a different assignment. When we read the Bible, we realize that the baton has been passed on through generations by so many people. Each of them ran the course assigned by God.
So, we should not be overly concerned about what others are doing. Our task is not only to run the full course given to us, but also to prepare the way for the next runner so that he can continue on toward the final goal. God's task is a cooperative effort spanning many generations. Perhaps we may not be the one to reach the goal. But, the one you pass the baton to might cross the finish line. The same team efforts must be carried out at our home, work, and at church, too.
Our church history spans over 80 years. Countless people have run their course carrying the baton before us. We believe that each of us is running our appointed course. And that God is watching over us from generation to generation.
Let us talk about mission next.
Mission
According to Exodus Chapter 3, one day, when Moses was in Mount Horeb, he noticed a bush in flame. But the bush was not burning up. Then, God called out to Moses from within the bush: "Do not come any closer," God said. "Take off your sandals, for the place where you are standing is holy ground." (Exodus 3:5) God told Moses then that he was charging Moses with the task of saving the people of Israel out of Egypt.
Similarly, when Joshua succeeded Moses and was about to start his task as the leader of the people of Israel, Joshua had a strange encounter.
13Now when Joshua was near Jericho, he looked up and saw a man standing in front of him with a drawn sword in his hand. Joshua went up to him and asked, "Are you for us or for our enemies?" 14"Neither," he replied, "but as commander of the army of the LORD I have now come." Then Joshua fell facedown to the ground in reverence, and asked him, "What message does my Lord have for his servant?" 15The commander of the LORD'S army replied, "Take off your sandals, for the place where you are standing is holy." And Joshua did so. (Joshua 5:13-15)
I doubt if any of you came this morning without wearing shoes. Why do we wear shoes? There are many reasons. We wear shoes to secure good foothold on any rough roads, to protect our feet from cuts, dirt, mud, moisture, and cold. If we try to walk the street without shoes on, we might experience discomfort.
In the days of Moses and Joshua, there were no socks to wear. They used to wear sandals on their bare feet. Their only means of transportation was their feet. Roads were not paved. They were full of debris. Desert roads might have dangerous small animals hiding in the soil. In that kind of circumstance, one could not move even a step without the protection of the sandals. One felt unprotected and vulnerable without sandals.
God did not say: "tighten the sandal lace and be ready for the task ahead." But, God told Moses and Joshua to remove the sandals when they were about to set out on their mission. What God wanted to remind them was that they should not rely on their own power but rather trust in God as they take on the mission.
Joshua removed his shoes. His mission was very clear. It was to actually secure the land of Canaan that was promised of them back in the days of Abraham. But, there are tribes occupying that Promised Land, and Israelite people had to be ready to fight many battles. So, they listened to God, trusted in God, and fought and won each battle from then on.
Joshua lived as it was written in Joshua Chapter 1 Verses 2-3: "Now then, you and all these people, get ready to cross the Jordan River into the land I am about to give to them—to the Israelites. I will give you every place where you set your foot, as I promised Moses."
When he heard these words from God, the land of Canaan was not given to Joshua yet. But, he believed, got ready, crossed the river, went, and set foot on the Promised Land. Joshua responded to his assigned task in faith. God, in return, gave every place he set his feet on to Joshua and Israelite people.
We are given out mission to accomplish, too. We need this faith Joshua possessed as we take on our challenge. God promises that we will win our land. We must believe as we set out on that journey. One step at a time. That is how we accomplish our task. Finally, let's talk about battle.
Battle
The Book of Judges which follows this Book of Joshua describes many bloody battles. God used harsh words such as "You must destroy them all." Some might question this and ask, "Why does the Bible use such harsh words?" and "Does God condone wars?" It is quite natural to ask such questions. This morning, I would like to face these questions. Deuteronomy 7:1-6 records what Moses conveyed to the people of Israel as they were about to set foot on the land of Canaan:
1When the LORD your God brings you into the land you are entering to possess and drives out before you many nations—the Hittites, Girgashites, Amorites, Canaanites, Perizzites, Hivites and Jebusites, seven nations larger and stronger than you—2and when the LORD your God has delivered them over to you and you have defeated them, then you must destroy them totally. Make no treaty with them, and show them no mercy. 3Do not intermarry with them. Do not give your daughters to their sons or take their daughters for your sons, 4for they will turn your sons away from following me to serve other gods, and the LORD'S anger will burn against you and will quickly destroy you. 5This is what you are to do to them: Break down their altars, smash their sacred stones, cut down their Asherah poles and burn their idols in the fire. 6For you are a people holy to the LORD your God. The LORD your God has chosen you out of all the peoples on the face of the earth to be his people, his treasured possession.
Joshua carried out these commands. He went out to destroy many tribes residing in the land of Canaan one after another. As we observe him, we notice one thing. And, that is Joshua was always aware that he was confronting his enemies. This was the urgency he felt. He knew that enemies were present. Joshua could conquer the land of Canaan with the people of Israel because Joshua did not forget his sense of urgency. This sense of urgency was the source of his determination never to compromise. He always remembered the words of God who had told them to destroy everything. This urgency was the driving force for Joshua as he led his people into the land of Canaan.
But what was the thing Joshua did not want to compromise about? As the people of Israel conquered the Promised Land and settled there, Joshua did not allow people to compromise with the customs, people, and religion of the land. Why Joshua insist that his people should not compromise? The reason becomes clear as we move on to the Book of Judges next week. Some of the consequences of compromise are described there. Let's read Judges 3:5-7.
5The Israelites lived among the Canaanites, Hittites, Amorites, Perizzites, Hivites and Jebusites. 6They took their daughters in marriage and gave their own daughters to their sons, and served their gods. 7The Israelites did evil in the eyes of the LORD; they forgot the LORD their God and served the Baals and the Asherahs.
Joshua did not allow people to compromise. But, with Joshua dead and gone, the people of Israel changed and compromised. The land of Canaan was a fertile land. It was a good land to settle down to agricultural life. Agricultural life provide them stability and wealth. Agricultural people naturally want bountiful harvest. Their main concern was the rich return from their land. For this, the people there had many gods to whom they prayed for bountiful harvest.
Compromising with these gods of the land was the greatest danger for the people of Israel. As their life became more stable, and as they started to accept local gods into their life, they started to lose the most important thing in life. Israelite people mingled with the local residents, picked up their custom, and learned to compromise their way of life, too. They forgot what Joshua had told them and started to worship local idols. This led to life of decadence and lawlessness. This was the consequence of compromise.
In order for the people of Israel to remain faithful to God, they were supposed to reject all other local gods. Otherwise, as these descriptions tell us, they were bound to be influenced by such gods, leading to destruction. So, it is clear that what God said was correct. We learn an important lesson from this. Even what we consider to be a small compromise might turn out to be life-threatening. God knew the people of Israel. We are not capable of rejecting seemingly minor compromises ourselves. Such small compromises can lead us into life of destruction.
Anthropologists have later found out more about these idol-worshipping customs. They uncovered many remains of young children apparently sacrificed to please the gods of Baals and Asherahs. The carvings of genitals were found on temple walls. They also found out that temple prostitutes were common. Their life was decadent. Agricultural people tend to worship sexual organs as source of fertility. As they worship fertility, their sex-oriented life leads to decadent life. Many historians have pointed out that many of the world powers collapsed from the lawless and decadent life style. This was how a nation stood or fell. Those anthropologists who excavated the land of Canaan have understood why God had told the people of Israel to destroy everything and never to compromise.
These idol gods, Baals and Asherahs, turned out to be the source of down fall. Next week, we study Book of Judges, where we learn that the Israelite people started idol worship, inviting downfall, and led to over 400 years of hardship.
Deuteronomy 6:6 said: "For you are a people holy to the LORD your God. The LORD your God has chosen you out of all the peoples on the face of the earth to be his people, his treasured possession." If important people in our life are about to face the downfall, we would not hesitate to warn them about the danger and tell them not to compromise their life to eventual destruction. Similarly, God had to warn the people of Israel.
Today, we talked about the changing of generation from Moses to Joshua. We also learned how Joshua completed his assigned task and never compromised. How about us? We have received the baton. Do we understand the significance of that? Are we aware of our mission? Are we running our course that we must run until the day when we hand over the baton to the next runner?
First Peter Chapter 5:8 says: "Be self-controlled and alert. Your enemy the devil prowls around like a roaring lion looking for someone to devour. "
Are we aware that we too are facing our enemy each day? Are we alert and self-controlled?
As the Israelite people go through changing of generation, they were supposed to be aware of their own mission, and their leader should have maintained the sense of urgency. But, sad reality is that the Israelite people would repeat the life of compromise and downfall throughout their history. We will study that phase of the history from the Book of Judges next week.
Let us pray.
Translated by Dr. Yasuhisa Hosomatsu
本日のおもちかえり
2012年3月12日
1)しばしば世代交代には問題がともなうことがありますが、それはどのようなものですか。あなたはそのような問題を経験したことがありますか。
2)モーセからヨシュアへの世代交代はどのようになされたのでしょうか。民数記27章16節-20節を読みましょう。
3)モーセもヨシュアもその使命をなそうとする前に似たような経験をします(出エジプト記3章5節、ヨシュア5章13節-15節)。当時の道路事情の中、靴をぬぐことは何を意味しましたか。なぜ、神様は彼らの靴をぬがせたのでしょうか。
4)約束の地、カナンを征服すべく神様は、戦いの相手を滅ぼしつくすようにと命令されました(申命記7章1節‐6節)。このような言葉が聖書に記されていることに対して、あなたはどのようにそれを受け止め、理解していますか。
5)ヨシュアは「敵前感」をもち、その敵との戦いに妥協せずに自らの使命を果たしました。なぜ、この敵前感と妥協をしない心は大切だったのでしょうか。もし、これらの心構えがなかったらイスラエルはどうなっていたでしょうか(士師記3章5節-7節)。
6)申命記6章6節には「あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた」と書かれています。もし、宝のように大切に思っている人が、そのままにしておけば必ず滅びるというような危機に直面するとしたらあなたは何をしますか。
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