2012年4月29日日曜日

キリスト語録9:キリスト宣言 | 布忠.com


「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」(ヨハネ福音書4:26)

弟子が増え出したころ、イエスはファリサイ派との衝突を避け、首都エルサレムのあるユダヤ地方から、北部の田舎ガリラヤ地方に移ることにして、サマリア地方を通過しようとしました。
ファリサイ派との衝突を避けたというのは、単純に逃げたわけではなく、「今はその時ではない」という判断です。イエスはのちに、ファリサイ派をはじめとする宗教的、政治的指導者層と鋭く対立していきます。が、今はその時ではなく、ヤハウェの民イスラエルのすみずみまで教えようとしているのです。

ところで、サマリア地方はユダヤ地方とガリラヤ地方の間に位置します。なぜイエスがサマリア地方を通過しなければならなかったかはわかりませんが、ユダヤ人はサマリア人を嫌悪して、普通はユダヤとガリラヤを行き来するにも、一度ヨルダン川の東岸に渡ってサマリアを迂回していました。それはこんな背景があります。
古代イスラエル王国は、ソロモン王の圧制に反発した北の十部族が分離しました。そして北王国はアッシリアに、南王国はバビロンに滅ぼされたのです。このとき南の人々はバビロンの支配下でもアブラハムの血統を守り、やがてエルサレムの神殿を再建したのですが、北の人々はアッシリアの混血政策によって、アブラハムの血統としての純血を失ってしまったのです。異邦人(外国人)は創造者を知らないけがれた人と考えられていたため、異邦人との混血となった北の人々(この地方の町の名前を取ってサマリア人と呼ばれる)を、南の人々(=イエスの時代のユダヤ)は、さげすむようになっていたという背景があります。

一行が正午ごろ、サマリアのシカルという町にさしかかったときです。イエスは弟子たちを町へ買出しに行かせ、一人で[ ヤコブの井戸」と呼ばれる井戸のそばで休んでいました。ヤコブと言うのはイスラエルの先祖で、アブラハムの孫にあたります。
すると町から一人の女が水汲みに来たので、イエスは彼女に「水を飲ませてください」と頼みました。


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前述のとおり、ユダヤ人はサマリア人とは交際しないものでした。口をきくことさえしない、まして頭を下げて頼みごとなんかしないのが普通です。サマリア女はおそらくイエスの言葉からガリラヤ人と察し(というのもイエスたちにはガリラヤ訛(なま)りがあったらしいのです→マタイ26:73)、かなり驚いて「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と答えました。

これにイエスは、こう答えたのです。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」
女は、どうやらこの人は偉い先生らしいと思ったらしく(でなければ「助けを求めておきながら、偉そうなことを言う奴だ」と切り捨てたでしょう)、イエスの言うことを理解しようと質問を返します。
「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」
するとイエスはこう答えました。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

読者はもう、イエスが言っている「水」というのは液体の水のことではなさそうだ、ということはお分かりでしょう。しかしサマリア女はまだわかっていません。というか、イエスの言うことが難しいので、自分が今わかる範囲で理解してしまおうと、「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」と言ったのです。


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そこでイエスは、自分が何者であるかを示そうとします。といってもストレートにではなく、イエスお得意のいたずらっぽいやりかたで。サマリア女に「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と命じ、彼女が「わたしには夫はいません」と答えると「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」と、全知である自分の性質をちらりと見せたのです。

サマリア女は、目の前の男が、神の人であると理解し、水の話しは置いておいてこんな質問をはじめました。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」

(前述のとおり、ユダヤ人はサマリア人を毛嫌いしていました。とはいってもどうせユダヤもサマリアもローマ帝国の支配下だし、サマリア人としては、ユダヤ人に会えば差別されるものの、自分の土地で暮らす限りはそれほど困ることがあるわけでもありませんでした。ただひとつを除いては。
困るのは、ヤハウェを礼拝する神殿がユダヤのエルサレムにあるということです。そこでサマリアの宗教的指導者らは「エルサレムではなく、イスラエル民族の祖ヤコブがヤハウェを礼拝したこの山こそが、真の"礼拝の場"なのだ」ということにしたのです。
この状態にサマリア人が一般に欺瞞を感じていたのでしょうか。そうかもしれませんが、このサマリア女が(5人の男性と関係を持った上になお別の男性と暮らしているという身でありながら、あるいはだからこそ)特に救いを求めて、真の"礼拝の場"について問うたのかもしれません。そして彼女に会うために、イエスはわざわざサマリアを通過したのではないか、そう思うのです。)


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この山だけが人が創造者を礼拝する場所だというのは、サマリア人の都合でした。しかしエルサレム神殿だけがそうだというのも、すでに過去のことになろうとしているのです。イエスはこう答えました。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」
第6回でふれたように、キリストであるイエス自身が神殿なのです。そしてイエスは「わたしの名によって二人または三人が集まるなら、わたしもそこにともにいる」と確約しています。イエスが人間の罪を清算するために殺され、『死』に勝利して復活したのちには、この山もエルサレムも含めてイエスを受け入れる者が集まったところが創造者を礼拝する神殿(現代で言えば教会)になるのです。

イエスのことばは続きます。「あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
神殿(あるいは教会)とは、建物のことではない。かつてヤハウェは「神殿でイスラエルと会う」と約束しましたが、神殿がヤハウェなのではない。すべての見えるものはヤハウェに創造されたものであって、ヤハウェは目では見えない。だから見える部分つまり場所や態度などではなく、見えない部分つまり霊と真理(魂とまごころ、と言ってもいいでしょう)で礼拝するものなのです。


「救いはユダヤ人から」とは、ヤハウェのアブラハムへの約束「あなたの子孫によって、全人類がヤハウェの祝福に入る」を継承しているのが、分離していった北の十部族ではなく南のユダヤ人であるということです。イエスも、弟子たちを宣教活動に派遣するときに「サマリアに行かずユダヤ人に専念するように」と命じました(このシリーズでいずれ扱います)。
アブラハムが偉かったからヤハウェに選ばれたのではないように、ユダヤ人が偉いから選ばれているのではありません。ユダヤ人は人類と創造者との関係において果たすべき役割があるから先だ、というだけなのです。(だから、ユダヤ人がいわゆる選民思想から他民族を見下すのも間違いだし、キリスト教徒がユダヤ人を迫害するのも間違いです)

それにしても、なぜこの人は、ヤハウェについて、そして礼拝について、ここまでキッパリ断言できるのだろう。サマリア女は、イエスのことばを理解しきれなかったかもしれません。でも、すべてが明らかにされるときがやがてくることだけは教えられていたようです。彼女は「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」と答えました。

(ヘブライ語でメシア、ギリシャ語でキリストというのは、第一義的には「油をそそがれた者」という意味です。イスラエルでは、創造者の啓示によって預言者あるいは祭司が頭から油をそそいだ者が王様になるのです。これから転じて、イスラエルの王として、いえ、全世界の王として創造者からつかわされると預言されていた「救い主」の称号となりました。)

女は「いつか未来に」というつもりであったかもしれません。しかしイエスはこう宣言したのです。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」



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